服を捨てられない僕が、ガーナの『服の墓場』を知った。買うこと、持つこと、本当の意味を考え直した【月刊ジョリオVol.7】2025年12月号

月刊ジョリオ2025年12月号

僕は、服を捨てられない人間だ

告白しよう。

僕のクローゼットは、カオスだ。

10年前の服。5年前の服。いつ買ったか覚えていない服。

それらがギュウギュウに詰め込まれている。まるで、服たちが「助けて!」と叫んでいるかのような密度!

「いつか着るかもしれない」

「まだ着られる」

「思い出があるから…」

そうやって理由をつけて、服を溜め込んでいく。

捨てられない。

いや、正確に言うと「手放せない」のだ!

寄付?

それすらハードルが高い。「誰かに譲る」という行為自体が、なんだか大きな決断に感じてしまう。

だから、ただひたすら溜め込む。

これは病気なのか?

いや、きっと多くの人が共感してくれるはずだ!

たまに訪れる、運命の瞬間

でも、たまに訪れる瞬間がある。

「あれ、あの服どこだっけ?」

クローゼットの奥深くに手を伸ばす。まるで洞窟探検をしているような気分!

そして、見つけてしまう。

破れている。

袖が。裾が。背中が。

「これは…さすがに無理だ」

そう認めざるを得ない状態の服。

その時だけ、僕は泣く泣く廃棄する。まるで大切な仲間との別れのような、あの切ない気持ち。

でも、それ以外の服は?

クローゼットに戻す。

また、いつか会う日まで。

ある日、僕は一つの記事に出会った

その日は、普通の日だった。

何気なくネットを見ていた時、一つの記事が目に飛び込んできた。

「ガーナの貴重な湿地でファストファッションの大量廃棄が発見される。広がり続ける『服の墓場』」

服の…墓場?

まるでホラー映画のタイトルのような、不穏な響き。

クリックした瞬間、僕の世界観が音を立てて揺れ始めた!

ガーナで起きている現実

記事を読み進める。

ガーナのデンス川デルタ湿地帯。

国際的に重要な湿地として保護されているはずの場所に、大量の衣類が廃棄されている。

絶滅危惧種のウミガメの産卵地に。

多様な野生生物の生息地に。

服が、山のように積まれている。

そして、地元の住民の声が、画面越しに突き刺さってきた。

「川の水が飲めなくなった」

「漁網に魚じゃなくて服が引っかかる」

「ワニやヤマネコがいた豊かな場所が、今は臭いと蚊だらけ」

極めつけがこれだ。

毎日100トンの衣類が廃棄され、そのうち処理できるのはわずか30トン。

残りの70トンは…

湿地へ。川へ。海へ。

僕は関係ない…わけじゃない

最初、僕は思った。

「僕は寄付もしてないし、関係ないかな」

でも、それは違った。

記事にはこう書いてあった。

「日本では、売れ残り品や一部の古着が『リユース』の名のもとに国外へ輸出されている」

売れ残り品…

つまり、誰かが買わなかった服。

店頭に残った服。

そして、気づいてしまった。

僕がクローゼットに溜め込んでいる、その間も。

世界のどこかでは、新しい服が大量に生産され続けている。

消費され続けている。

そして、行き場を失った服たちが、ガーナのような場所に流れ着いている。

まるでパズルのピースがカチッとはまるように、すべてが繋がってしまった!

僕は直接関わっていないかもしれない。

でも、このシステムの中にいる。

この大量生産・大量消費の流れの中に、確実にいるんだ!

「買う」という行為の意味

![服を選んでいる写真、またはショッピングのイメージ]

ここで、ハッとした。

僕が服を捨てられない理由。

それは、「もったいない」という気持ちがあるからだ。

でも、「もったいない」と思うなら、そもそも…

買わなければいいのでは?

いや、待てよ。

僕は本当に必要だと思って買っているのか?

それとも、なんとなく?

「安いから」「セールだから」「なんとなく良さそう」

そんな理由で買っていなかっただろうか?

まるで探偵が真実に辿り着く瞬間のように、自分の消費行動の本質が見えてきた!

ジョリオという仕事が教えてくれたこと

名入れ作業中のジョリオ

ここで、少し話を変えよう。

僕は、名入れギフトJORIOという会社を営んでいる。

名入れをする仕事だ。

タンブラー、ミラー、ストームグラスなど、様々な商品に名前を彫る。

この仕事をしていて、気づいたことがある。

名前が入ったものは、捨てられにくい。

なぜか?

それは、「自分だけのもの」になるからだ!

愛着が湧く。大切にする。簡単には手放せない。

これって、すごく大事なことなんじゃないか?

マイボトルという小さな革命

マイボトルにマイミズ給水

名入れギフトJORIOでは、マイボトルの推進をしている。

「ペットボトルを減らそう」

そう言って、名入れタンブラーを作っている。

また、マイミズの給水店としても登録している。

無料で水を補給できる場所として。

これは、「使い捨てない」文化を作る試みだ。

ペットボトルも、ファストファッションも、根っこは同じ。

「使い捨て」の文化。

でも、マイボトルを持つことで、少しずつ変わっていく。

「自分のもの」を大切にする。

長く使う。

簡単には捨てない。

これは、服にも応用できるんじゃないか!?

小さな会社の僕たちができること

JORIOとクリスマスボトル

名入れギフトJORIOは、小さな会社だ。

世界を変えるような、大きな力は持っていない。

でも、小さくても、できることはある。

1. 「長く使う」価値を伝える

名入れをした商品は、特別になる。

それは結果的に、「使い捨てない」につながる。

服も同じだ。

本当に気に入ったものを、長く大切に着る。

2. マイボトル文化を広げる

ペットボトルを減らすことは、「使い捨て」を減らすこと。

その考え方は、ファッションにも通じる。

3. 「考えること」を伝える

このブログを通じて、一緒に考える。

答えを押し付けるんじゃない。

「これでいいのかな?」って、一緒に悩む。

そして、僕個人ができること

服を捨てられない僕だからこそ、気づいたことがある。

本当に必要なものだけを買う

まるで勇者が武器を選ぶように、慎重に選ぶ!

「なんとなく」で買わない。

「これだ!」と思えるものだけを買う。

今ある服を、もっと着る

クローゼットに眠っている服たちを、光のもとへ。

破れていない服は、まだ着られる。

着ればいいんだ!

「破れるまで着る」を誇りに思う

僕は、破れるまで服を着る人間だ。

それって、実はすごくエコなことなのかもしれない。

最後まで使い切る。

それが、一番のリサイクルだ!

完璧じゃなくてもいい。考え続けることが大切

太陽を手のひらで支えるような角度で撮影された画像

ここで、一つ大事なことに気づいた。

「完璧な答え」なんて、存在しないのかもしれない。

僕は服を捨てられない。溜め込んでしまう。

それはダメなことなのか?

いや、見方を変えれば、「最後まで使い切ろうとしている」とも言える。

大事なのは、「これでいいや」と思考停止しないこと!

常に問い続けること。

「これは本当に良いことなのか?」

「もっと良い方法はないか?」

まるでRPGゲームで、常にマップを確認しながら進むように。立ち止まって、考えて、また進む。

その繰り返しが大切なんだ!

すべての「服を溜め込んでしまう」人へ

もしかしたら、今この文章を読んでいるあなたも、クローゼットがパンパンかもしれない。

「捨てられない自分はダメだ」

そう思っているかもしれない。

でも、大丈夫。

それは、「もったいない」という気持ちがあるからだ。

その気持ちは、大切にしていい。

ただ、これからは少しだけ考えてみよう。

「本当に必要か?」って。

買う前に、少しだけ立ち止まってみよう。

そして、今あるものを、もっと大切に着てみよう。

破れるまで着る。

それは恥ずかしいことじゃない。

むしろ、誇りに思っていい!

ガーナの「服の墓場」を知って、僕は衝撃を受けた。

でも、同時に気づいた。

自分にできることがあるかもしれない。

完璧じゃなくてもいい。

少しずつでいい。

「買うこと」の意味を考える。

「持つこと」の意味を考える。

「使い切ること」の価値を知る。

それが、今の僕にできることだ。

あなたも、あなたなりの「できること」を見つけてほしい。

一緒に、考え続けよう。

服を捨てられない僕たちだからこそ、できることがある。

それは、最後まで使い切ること。

そして、本当に必要なものだけを選ぶこと。

クローゼットがパンパンでも、いいじゃないか。

それは、「もったいない」という優しさの証なんだから。